足元にあった青い芝に気づかず過ごしていたように思う。

 

幸せというものさしは人それぞれで、

最近、私という人のものさしを少しずつ分かってきたと思う。

 

今、この本を読んでいる。

幸福になる「脳の使い方」 (PHP新書)

幸福になる「脳の使い方」 (PHP新書)

 

 

読んでいてなるほどなあと思ったことがある。

人に幸せか?という質問をするときに、

 

「あなたは付き合っている人がいますか?そして、あなたは幸せですか?」

「あなたは幸せですか?ちなみにあなたは付き合っている人はいますか?」

 

っと言う2通りの聞き方をした時。

付き合っている人がない時、最初の問いだと世間的には付き合っている=幸せと言う認識が強いから

その最初の問いに引っ張られて付き合っていないということは私は幸せではないのかもしれない?っと引っ張られてしまうことがあるらしい。

 

付き合っている=幸せ

付き合っていない=不幸せ

 

そういう式が成り立ってしまう。

けど、実は人間はそうではなくても幸せな人がいるということで

そこに気づくことをこの本で教えてもらった。

 

 

私はこういう世間の幸せ像に常々引っ張られてきていたと思う。

その像は年を重ねるごとに減っていったけれど、それでもなお引っ張られていた。

自分が幸せになれないのは、あの隣の青い芝にいないからだ。

あの青い芝に行けば私は幸せになれるのかもしれない。

そうやって同じようなことを繰り返してきたけど、実は青い芝に行ったところで

幸福度は大差なかったりした。

 

この本でも書いてあった。

収入が多い人と特別多くない人でも幸福度は大差ないらしい。

 

 

それで、ふと自分は幸せなのか考えてみた。それで、私は案外幸せだった。

 

今の私は、友達はとても減ったし、恋人はいないしお金もあまりない。

夢も持っていなし、それどころか病気を患っている。外に出ると息を吸うことが難しくなることがあってしんどいことがある。

そして親も体調を崩している。はたから見たら今の私は不幸かもしれない。

 

それでも、人とあまり話すことを元々好きとしないし、好きな本を読めるし

太陽にあたったり、日が照っている時に散歩できたり(調子が良い時)、夕食のメニューを作るのに新しいものに度々チャレンジ出来ている。今、私は幸せらしい。

 

隣の青い芝ばかり見てて、実は足元にあった青い芝に気づかずに過ごしていたように思う。