凄いものになろうとする呪縛

 

 

凄いものになろうとする呪縛が私にはある。

それは常につきまとっていることへ気づけなくなるほど根付いた呪縛である。

そして、この呪縛には終わりが見えない。

そして根付いた呪縛は消し去ることは難しいだろう。

けど、この呪縛が隣にあることを意識することしないことで人生はかなり違うと思う。

 

例え話

 

5人プラス私の6人グループがあるとしよう。

5人をAからEと表す。

 

この6人の中でAは1番目立つキャラクター。

運動も出来て勉強も出来て優しい。

私は大抵こういうグループになるとAを尊敬してAを目指す。

私にとってAは素晴らしい存在であり対等じゃないから対等を目指す。

 

そうして追いかけてAに近い成績や運動神経になる。

Aにも凄いと認められる。けど、心はAと対等になれない。

そうすると自分の足りないものを探す。

 

次に目立つキャラクターはBだ。

BはAよりも5教科の成績は劣るけど音楽や家庭科が得意。

次はBを目指し始めて音楽や家庭科の技術を上げていく

そしてその技術が追いつく。Bと対等に料理が作れるようになる。

それでも心は対等にはなれない。

 

そうやってC〜Eへと続いていく。それを繰り返す人生。

それでも足りない、足りないと崩れ落ちる地面を落ちないように走る。

 

ある時、グループ外の人から「あなたは何でも出来て凄いよね」と言われる。

 

え?っとなり1度立ち止まって後ろを振り返って崩れた道を見てみる。

私は色々なものが出来るようになっていてAに足りないものも備えている人になっている。

そうして周りを見渡すと、それが無くても生きている人たちが大勢いることに気づく。

 

 

友人に言われたこと

 

以前、私は長い付き合いの友人に「理想が高いよね」と言われたことがある。

けど、ブランド物は買わないし、スペックの高い恋人が欲しいわけでもない。

ご飯も生姜焼きが食べれるだけで幸せだ。

だから、その言葉の意味を私はその時理解することが出来なかった。

 

けど、今はそれをやっと少しだけ理解できた。

私は最初から高い理想を掲げて物事を見てしまう癖があった。

 

極端な例をあげる。

音楽を聴いて、これは良い。っと何気なく楽しむのではなくて

 

この音楽は良い→自分に合う曲かもしれない歌ってみよう

→ダメだ、才能がない。私には音楽の道は合っていない

そうやって好きな音楽かすら忘れていってしまう。

 

高い理想を掲げる上、思考は極端。

私は凄いものになろうとするあまり、純粋に目の前のことを楽しむことが出来なくなっていた。

ただ、歌って楽しかった。それだけで良いのに、いかに成功させるかばかり考えていた。

 

そうして、純粋に目の前にあることを楽しめなくなっていた。

そうやって私は、実は横にあった大切なものをないがしろにしていたと思う。

それらにもう出会うことは出来ない。

 

そう思っても、その時は戻ってはこないし、その時はそれで精一杯であった。

だから、これからは凄いものになろうとする呪縛は簡単には解けないけれど、

隣にそいつは居座っていることを感じながら少しずつ解いていけたらと思う。