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読書

 

「読書は、自分以外の人の人生を体感することが出来る」

 

この言葉の意味を、自分は理解していなかった。

文字上ではわかるけど、体感的にわからなかった。

 

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「だって、この小説はフィクションでしょ?」

 

それを体感したところで何だろうと思っていた。

(↑フィクション本に限った話です)

 

それは、小説ではなくて脳科学、ビジネス書、自己啓発書とかから

得ることが出来るものだと思っていた。

主に、事実に基づいて書かれたりしているから。

それもあながち間違ってはいないかもしれないけど

小説を軽視しすぎていた自分がいた。

 

 

小説は、読んでいると非常に疲れてしまう。

文章の構造がわかりやすいとかは関係ない。

主人公が喜んで悲しんで、怒られて。と思ったら主人公の中にストンと落ちるものがあって。

 

その感情の動きについていくことが物凄く疲れて嫌いだった。

 

私が嫌いな理由はそこだった。

 

今思えば、読むことが苦手なら色々な人のブログなんて読んでいないし、

自己啓発書も、脳科学書、ビジネス書だって本が嫌いならそれすら読まなかった。

私は、確かに読むことは出来た。

 

ただ、感情移入をしすぎてしまうんだと気付いた。

私は漫画も疲れるから苦手だ。

たかが漫画を読めないの?と驚かれるかもしれないけど、

私にとっては、たかが漫画はされど漫画だったのかもしれない。

 

それでも読むことが出来るのは事実だった。

 

 

私は、人と関わることが凄く嫌いだ。何気ない会話だけでも疲れる。

究極を言えば挨拶すら疲れる。

それでも何とかして関わる練習をして体系的に関わり方は覚えたけど、

結局は疲れるから嫌いだった。

しかし、人と関わらないことは、自分の常識力をつけるチャンスが無くなってしまうのはわかっていた。

 

けど、人と関わることは声を出すだけでも疲れるのに

話の内容にまで集中することすら苦痛だった。

それでも私は授業の内容を明確に覚えるということは出来たから

覚えが悪いわけでもなかった。

 

 

読書は、私に常識力をつける術なのかもしれないと思った。

久しぶりに読んでいた小説でそれを感じた。

家で小説を読んでいるだけだけど、あらゆる感情でいっぱいになった。

 

感情がないと言われる私にも感情は溢れるほどあった。

 

そして、主人公の人生を体感している、そんな気持ちになっている自分がいた。

文字から情景がそのまま映し出される。

声のイメージ、友達といる場所。

 

私は今、自分以外の人生を体感しているんだなとその時やっと感じた。

私にはこちらが向いているんだと思った。

そして、自分は決して本が読めないわけではないことを知った。