いじめと信頼できる大人が居ない中、自分が学校に通えてた理由はなんだろう

 

今、類くんの本を読んでいますが

この一節を見かけました。

 

学校には信頼できる大人を一人も見つけられないまま、

毎日学校に通っていました。それができた最大の理由は、信頼できる友達が

いたからだと思います。

 

引用:発達障害の僕が輝ける場所を見つけられた理由

   著者:栗原類

 

 

発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由

発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由

 

 

これは類くんが学生時代の話ですが

自分と類くんは別人ですが信頼できる大人はいなかったけど

自分はどうして学校へ行っていたか

それだけをただ考えてみました。

 

 

私が中学の話です。

自分はバカなものでいじめにも気付かず親からの虐待も気付かず

カウンセリングの必要がある人間ではないと思っていました。

それに、精神的でそこに行くのはむしろ周りから話題にされるから行きたくありませんでした。なんだかカウンセリング室は異様な空気で近づきたくありませんでした。

 

プライドも無駄に高く、クラスで立ち位置が上であることが重要で

常にそこを目指して考えていたように思います。視野が狭かったです。

 

あと、父親が精神的なものに対する理解が皆無でむしろ軽蔑するぐらいのイメージを持つ持ち主だったが故、自分は同じように思っていたと思います。

別に父親はそう思うのは仕方がないと思います、そう感じてしまう経験があったわけでしょうし、昔は今ほど精神的な部分で理解がなかったから。

だから父親は責める必要はないと思います。

 

友達だと思い込んでいた友達というよりかは

一人になるということはクラス的に立ち位置が下になると思い

一人だけは避けなければならないという意思から片っ端から話せる人を

繋いでおいた学生時代だったかと思います。

 

だから友達がいるよう教師たちには見えたでしょうし

自分もバカだからいるんだと思い込んでいました。

 

けど、今思えば他の人が来ると私を数メートル先歩かせたり

明らかに他の人が来るときは態度が変わる人は友達ではなかったかなと思います。

中2の時に母と私で先生にいじめ相談をしましたが

結局は先生は自分の立場とクラスの平和も交え私は荒事を立てるタイプでもなかったので

いじめ側にうまいことつくという形となりました。

そこでもちろん先生への信頼はないです。まあもともと信頼していた人でもなかったのでショックは案外少なかったのでしょう。

 

そして中学3年でさすがに父親が怖すぎて家へ帰ることを避けたくなるほどでした。

それを中3の担任へ相談したら笑って嘘だろという感じでした。

けどさすがに私が涙を流したときは焦っていましたが。

 

 

こうやって友達らしい友達はいず、

家では居場所がなくそれでも学校へ通えたのはプライドと恐怖からだったかと思います。

学校へ行かなければ父親が怒鳴るから怒鳴られるぐらいなら行ったほうがいいのです。

そして友達とうまく行けない分を学業や、クラスでの地位あげ行動、

委員会活動を必死でやり遂げることでなんとか保っていたようなそんな。

クラスの地位が高い人と仲良くなろうとして見える新しい世界を見つけることで

なんとか保って生きていたように思います。

 

そこから私が友達というのは地位で作るものじゃないと気付いたのは20歳を過ぎてからでした。

 

だからどうという話ではないですが、

ふと自分はどうだったか思い出すかと思って書いてみました。

 

 

そして何よりもいじめをいじめだと気づかないほどの

ものすごい馬鹿だったから多分生きていけたんだと思います。

 

ある意味馬鹿が救われた瞬間でした。

ちょうどさっき自分が馬鹿という話を書いたところだったので

なんかよかったかもしれない

 

 

enomoto.hatenablog.jp

 

宣伝みたいになったけどついでで読むと

私が馬鹿だなあというのがわかるかもしれない