いじめ問題をはっきり一刀両断出来ないけど、自分が思う1つの傾向がある。

 

 

必ずしも、いじめる人間が同種類とは言わないし

いじめられる人間も同種類とは言わないけど

 

もしかしての自分論が1つある。

 

ちなみに自分自身はいじめを受けたことがある

グラウンドでジャージと下着まで脱がされてゲラゲラ笑われて

泣いたら周りの人に泣くなと怒られたこととかがある。

それはあくまで例の1つである。

 

いじめが発生するのには

いじめられる側にも問題があるというのだけど

実はそこってありえるかもしれない。少し可能性がある。

あくまで可能性の1つだ。絶対ではない。

 

私自身、仕事を転々として今は一時的に無職として生きてる。

今後もちろん仕事はするつもりだけどうつ病となり今は治療中だ。

それ以外にも色々な要因はあるけど、今はここで止めておく。

これで分かるように、少なくとも私は

世間的に通常値よりは若干のズレを生じている。

それがいじめが少しでも関係するかはわからないけど、幼少期からどこか

ズレは自分の中であったと思う。

絶対に理由がいじめというわけではないと思う。

 

いじめを無くすという発想自体はとても難しい問題だと思う。

いじめをやめなさいでやめれば誰も困ってない。

 

いじめ側がいじめる理由は様々だけど、

ここでできるのは自分の体験談の部分からだからそこを話す。

 

いじめる側は、いじめられる側が悲しんでるところを見るのが楽しいし

自分がテキトウに遊べる自分より下の人間ができることが喜びだった。

 

いじめられる側は、いじめを受けて悲しかった。

自分が変わらないと、友達が欲しいから自分が悪いんだと責めた。

 

どちらにも共通するのは、

現時点の自分では満足できていないという点だと思う。

 

これの元をたどると自尊心とかいうのかな?

とりあえずそういう問題だと思う。

 

そこの不満足を満たすためのいじめで、

互いにいじめいじめられを繰り返したところで

本当の意味の心は満たされないけれど、満たす方法を知らないから

繰り返してしまうのかもしれない。

 

やめろと言ってやめれたら無くなっているし

変われと言って変われたら言い返したり別のポジティブな対応策が生まれるのではないかと思う。

あくまで憶測ではあるけれど。

 

誰もやめれたら苦労しないし、変われたら苦労しない。

それができない形がこう現れてるのが1つの原因なのかなと思った。

やめれないのは多分、それ以外のところで満たすものがないのだと思う。

変われないのは、それ以上の視野を見れていないのだと思う。(?)

あいにく自己観察能力が低いからいじめられる側の視点が甘くて申し訳ない。

 

その自分の心のあり方は幼少期から形成されていくし

どこかで誰かに助けられて守られていくかもしれない。

そこが守られなかったり、

もしかするとそもそもの思考回路が違うのかもしれないとか。

 

結局、具体策は私にはまだないけれど

当事者の経験から見たいじめる側といじめられる側に問題があるという話で

そこの根拠はここあたりかなと曖昧な話をさせてもらった。

 

最後まで読んでくれてありがとう。

 

悲しむ人が少しでも減ると嬉しい。